蜂谷清さんが描いた祖母の像

曇り
後雨
 きょうはパソコン入門教室の日です。文字入力の練習として、暑中見舞いの葉書を作ってもらいました。教室終了後は、いつものように施設のパソコンのメンテナンスを。ウインドウズの更新があったので、ちょっと時間がかかりました。その作業中、携帯が珍しくなりました。パソコンサポートのご依頼です。メンテナンス終了後車で向かいました。小雨が降っていましたが、やはり車があると便利ですね。インターネットに繋がらないとのことですが、モデムのランプが電源ランブしかついていないので、モデムの故障と推測しました。聞けば2002年に設置したものとのことですので、既に7年間つけっ放しにあった訳です。故障してもおかしくないですね。ソーネットのサポートの方が直ぐに電話口でられたので、事情を説明して交換していただくことになりました。

 ムジカ滞在2日目に訪れた美術館 『無言館(むごんかん)』 は、第二次世界大戦中、志半ばで戦場に散った画学生たちの残した絵画や作品、イーゼルなどの愛用品を収蔵、展示している美術館です。ここで蜂谷清さんと、大田章さんという人の絵葉書を2枚買いました。蜂谷清さんの絵は、自分をとても可愛がってくれたおばあちゃん、なつさんの肖像画です。


窪島誠一郎氏の著書「無言館の詩」より

 祖母の「なつ」は、特別清を可愛がった。清が上手に絵を描く子に育ち、銀座の「松原工房」に就職した時も「たいしたもんじゃ、たいしたもんじゃ」と優しい眼を糸のように細めていた。

 戦争がはじまってしばらくした日、清はそんな最愛の「なつ」の肖像画を描く。「なつ」の眼、口もと、鼻、頬、顎、手…。その皺一本一本を、けっして見逃すまい、とするように清は精魂こめて画布にきざみこんだ。
「ばあやん、わしもいつかは戦争にゆかねばならん。そしたら、こうしてばあやんの絵も描けなくなる」
清がつぶやくようにいうと「なつ」はうっすらと涙をうかべただけで何もいわなかった。

蜂谷清さん 大正12年、千葉県佐倉の生まれ。デザイン会社 銀座松原工房に勤務。昭和18年出征 同20年7月1日、フイリピン・レイテ島で戦死。享年22歳。



 おばあちゃんは、何も言わなかったのではなく、きっと何も言えなかったんでしょうね。無言館は、こんなところです。館内は撮影禁止で、15名以上の団体の場合は、あらかじめご予約がないと入れません。戦没画学生慰霊美術館ですので、大声でのお喋りは厳禁です。

無言館
 
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