Dell Inspiron 1501

晴れ  朝から色々な手続きの書類を書いていました。実は今週の月曜日、これから金銭的に厳しくなることは重々知ってはいるのですが、どうしてもこれからの仕事に必要だと思い発注してしまいました。今遥か彼方から船旅に出たところだそうです。(^^;)



お届け予定日は2007/07/10前後になります。
国際輸送には主に船便を使用しており、輸送準備期間を含め約1週間かかります。
お届け予定日は変更となる可能性があります。
お客様の注文された製品は現在国際輸送中です。
デル製品のお買い上げ誠にありがとうございました。

受注日
2007/07/02

製造開始日
2007/07/02

製造完了日
2007/07/06

輸送開始日
2007/07/07

受入作業中

出荷日



AMD エイエムディーと読むそうです。アムドなんて読むと、笑われるそうですよ…。(^^;)

郵便局の相続手続きの酷さ

曇り  きのう翻弄された大きな原因のひとつが、郵便貯金の相続手続きの“のろい”ことです。最初郵便貯金のサイト相続に関する説明のページに1週間〜2週間程(ただ今、相続のご請求が大変混み合っており、処理に1ヶ月程度かかる場合もございますので、あらかじめご了承ください)とあり、最悪でも1ヶ月位かなんて甘い考えを持っていました。6月11日(月)に「相続確認表兼郵便貯金等支払停止依頼書」をおば〜ちゃんが貯金していたご近所の郵便局に提出したものの、6月22日(金)になっても何も送られて来ません。もう最初の依頼書を出してから11日も経っています。送られて来た書類を見て、おば〜ちゃんの過去の除籍謄本や、相続人の同意書を揃えて提出してから早くても1、2週間かかるというのに、最初の必要書類が送られて来ません。たまりかねて郵便局に電話し、東京貯金事務センターからかかって来た電話の説明は、遺言書有りで提出したためその遺言書を簡易裁判所で正式なものとして云々…。要するに公正証書遺言でないと、簡易裁判所に遺言の執行者が行って色々手続きをしないといけないらしい。ただ遺言書があったので有りとかいたのですが、だからといってこちらから問い合わせするまで放っておかなくてもいいではないですか。ブログで堂々と書いてしまいますけれど、こういう場合早く処理したかったら、東京貯金事務センターとしてはこんなこと勧めたとは言わないで欲しいのですがと前置きした上で、遺言書なしの、貯金はすべて名義書き換えでなくて払い出しにして依頼書を出してくださいとのことでした。それで折角11日も待った依頼書ですが、反古にしていただき、新たにその勧めたとは言わないで欲しいと言われた内容で依頼書を提出し直しました。今度は翌週の木曜日頃に書類が届きました。直ぐに、その週のうちに日野市役所と杉並区役所に行き、母が結婚した時から死亡した時までの除籍謄本と戸籍謄本、わたしの戸籍謄本などを揃えました。

 依頼書を出した時点で、依頼書に書かれた貯金以外におば〜ちゃん名義の他の貯金がないかチェックしてくださっていると思っていましたが、心配になってきのう行きつけの郵便局に行き、「とりあえずおば〜ちゃんの郵便局関係の通帳・証書のあるもので申請しましたが、本当にそれだけなのかちょっと調べてみてください。」とお願いしますと、なんと3週間かかるとのことです。これには絶句しました。IT がこれほど進んだ現在で、世界中の情報がクリックひとつで直ぐに表示される時代に、行きつけの郵便局にあるおば〜ちゃんの貯金を調べるのになんで3週間もかかるのでしょうか。ネットで色々検索してみましたら、どうなってんの? 郵便局!!民営化前の郵便局を讃えるの巻の中ほどの記事、郵便通帳の遺産相続 [ママの独り言] などなどのサイトが見つかりました。なんだか以前は個々の郵便局で処理できたのが、民営化を睨んで東京郵便貯金事務センター(東京ってなっていても埼玉県にあるらしい)で皆処理するようになったとか…。農協や銀行では20分もあればできる処理を、1週間から3週間もかけているっていったいどういうことなんでしょうか。相続の手続きが終わって郵便局を出ようとしたら、郵便局の職員に「他の相続手続きのお客様からの苦情がすごく多くて困っているので、手続き完了までにどのくらいの日数がかかったか是非とも教えてください。」と泣きつかれたとか。まあ、おば〜ちゃんが生きていたら「バカッ」のひと言でしょうね。(^^;)

 スモモの仲間だろうと思うのですが、自宅から一番近い公園に植えてある樹木です。

 

おば〜ちゃんの召天記念会

 緑豊かな国立市の桜通りの桜並木です。丁度並木の東端の辺りです。この道が、行く行くは東八道路と繋がり、奥多摩街道・新奥多摩街道とも繋がるのでしょうか。今はどちらとも繋がっていないので、のどかなお昼寝道路となっています。

 きょうはほとんど雨が降っていました。ブログに書きたくもない煩わしいことがらに翻弄されていました。
 一昨日は夕方、パソコン入門教室しています豊田駅北交流センターで、10月の利用予定を決める7月のパソコン連絡会がありましたので出席して来ました。その時仲間のおひとりに教えていただいたのですが、センターのパソコンの多くでシステムの復元ポイントが消えていました。原因は未だよく分かりません。
 昨日の火曜日は、久し振りにまちづくりフォーラム・ひのの機関紙『湧水』の印刷・封筒入れ・発送のお手伝いをしに、多摩モノレールの甲州街道駅近くの市民活動支援センターまで行って来ました。午後2時半から始めたのですが、結局夕刻の6時半頃までかかってしまいました。
 きょうが豊田駅北交流センターのパソコン・メンテナンスの日でしたので、全台きょうの時点で復元ポイントを作っておきました。ただこのポイントが長い間ちゃんと残るかどうかは、今のところ定かでない訳です。夜はおば〜ちゃんの属していましたキリストの幕屋で、召天1ヶ月後の記念会を行ってくださいましたので出席して来ました。おば〜ちゃんの大きな写真を持って行きましたら、事前に連絡してありましたおば〜ちゃんの大好物のおはぎを、会の終了時に出してくださいました。甘いものには目のなかったおば〜ちゃんです。お土産にもいただきましたので、帰宅後遺影の前にお供えしておきました。

おば〜ちゃんの納骨

雨後
曇り
 きょうはおば〜ちゃんの納骨の日です。きのう夕方花屋さんに行き、花も用意しました。おば〜ちゃんの好きだった食べ物、本なども、納骨を依頼した石材屋さんが用意してくださったテーブルの上に置きました。まず石材屋さんがカロートの蓋を開け、中に入っておば〜ちゃんの骨壷を下の段の真ん中に置いてくださいました。納骨の手続きをする時に分かったのですが、このお墓にはわたしの父、父の両親、幼くして亡くなった父の妹、死産したわたしたち子供たちの幻の長女、そして父の父が継いだ姓の家の方たちおふたりの計7人が既に入っていました。おば〜ちゃんは8人目の入居者です。

 おば〜ちゃんの骨壷がお墓の中に納まり、カロートの蓋が閉じられた後に、皆で賛美歌『十字架の血に』の1番と4番を歌いました。この賛美歌はきょう来てくださったおば〜ちゃんの姪の父、おば〜ちゃんの下の兄が召天した際に歌われた賛美歌でもあります。

十字架の血に 聖(きよ)めぬれば
来(こ)よとの御声を われは聞けり
主よ、われは いまぞゆく
十字架の血にて 聖めたまえ

ほむべきかな わが主の愛
ああ、ほむべきかな わが主の愛
主よ、われは いまぞゆく
十字架の血にて 聖めたまえ

アーメン



賛美歌を歌った後、皆で白い花を墓前に献花して祈り、納骨は終了となりました。