おば〜ちゃんが召天して

 おば〜ちゃんが召天してしまって、わたしのブログの更新が止まるのでは思っていた方残念でした。せっかくおば〜ちゃんの様子の記録を書くことで続いた毎日の書き込みを、これからもできるだけ続けて行くつもりです。m(^^)m
 病院からやっと帰れたおば〜ちゃんは、亡骸となっても存在感があります。その顔を近くから見ていますと、今にも喋り出しそうです。その頬には張りがあり、流石に80才を過ぎてもパックをしていただけのことはあります。90年近く前にも、この可愛いほっぺを見て、なんて可愛い子だろうと思った人がきっといたに違いありません。
 きょうも色々な方が、おば〜ちゃんの顔を見に尋ねて来てくださいました。ホームヘルパーでお世話になった方、ご近所の方、わたしのパソコン仲間の方、そんな人たちの中に、おば〜ちゃんの昔からの親友の方がいました。その方はご近所に住まわれていて日野台教会に通われているのですが、おば〜ちゃんが日野台教会からキリストの幕屋に移ってからというものは、日野台教会のお仲間のお葬式の時にお会いするくらいとなっていました。入院中にお見舞いにとお声をかけたのですが、その方は旦那さまの見守りをされていますので、中々外出ができずお見舞いにも来ることができませんでした。それで第一声は、「松村さん、遅くなってごめんなさい。」でした。全く謝らなくてはいけない理由なんてないのです。その方ももう90才になられていますので、きょうここに来てくださったことだけで感謝なのです。驚いたことに、90才だというのに、背筋も伸び、かくしゃくとされています。その方いわく、おば〜ちゃんには何か光るものがあったそうです。真髄をずばりといってのける力があったとか。それがある意味、いいたいことをずばずばいう人といわれる所以でもあるのでしょう。わたしが知らなかった昔のことを、色々と聞かせてくださいました。わたしと姉を家に置いて教会に行こうとすると、姉がぐずったそうなんですが、その時にわたしが「やっこ(姉のあだ名)、ちゃんと留守番していなくちゃだめだよ。」といっていい聞かせていたそうです。(^^;) 前にも書きましたが、教会が別々になってしまったので、ずっと付き合っていた訳ではないのですが、たまに会うと昔の親友関係に直ぐ戻るみたいです。昨年夏この方に電話をかけて、おば〜ちゃんを電話口に出させたのですが、おば〜ちゃんはお茶目な口調で、「わたし、誰だか分かる。」をずっと繰り返し、その方を困らせていました。いくつになってもこの方とは、つーかーの仲だったそうです。素晴らしい人とお会いできた、という実感を持ちました。それにしても90才を過ぎてもあのお元気。世の中上には上があるもんですね。m(^^)m

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