おば〜ちゃんのお通夜

 きょうは、おば〜ちゃんのお通夜でした。家の近くの東都式典という会社の、これまた家の近くのアールホールという式場の2階で、おば〜ちゃんが所属していたキリストの幕屋という宗教団体の進行で式が行われました。お昼過ぎに自宅に集まった兄や姉の話では、もうJR日野駅前に、おば〜ちゃんの名前入りの案内板が出ていたそうです。会場1階入り口には、左写真の様なおば〜ちゃんの写真入りのしゃれた案内板も飾られていました。

晴れ  お通夜は夜の7時から始められました。キリストの幕屋の司会進行ですので、お経はなく代わりに賛美歌とお祈りでした。祭壇は白い洋花を中心に、赤や黄色などの色のついた花々もたくさん使われました。生前のおば〜ちゃんの肉声を収めた3分ほどのテープもあり、会場で流されました。家族、おば〜ちゃんゆかりの方々が次々と生前のおば〜ちゃんの思い出を語り、わたしの知らなかったおば〜ちゃんの一面も知ることができました。キリストの幕屋は、連絡網がしっかりとしていて、亡くなってふつか後のお通夜でしたが、たくさん方々が集まってくださいました。全体としては、70名ほどの参加者となりました。おば〜ちゃんがあっちゃんあっちゃんと呼んでいた幕屋の方でちゃんと声楽を学ばれた方が、最後に皆が献花をしている時にバックで素晴らしい声で賛美歌を歌ってくださり、とても感激しました。おば〜ちゃんも天でさぞ喜んでいることでしょう。とても良い、嬉しいお通夜でした。

おば〜ちゃんが召天して

 おば〜ちゃんが召天してしまって、わたしのブログの更新が止まるのでは思っていた方残念でした。せっかくおば〜ちゃんの様子の記録を書くことで続いた毎日の書き込みを、これからもできるだけ続けて行くつもりです。m(^^)m
 病院からやっと帰れたおば〜ちゃんは、亡骸となっても存在感があります。その顔を近くから見ていますと、今にも喋り出しそうです。その頬には張りがあり、流石に80才を過ぎてもパックをしていただけのことはあります。90年近く前にも、この可愛いほっぺを見て、なんて可愛い子だろうと思った人がきっといたに違いありません。
 きょうも色々な方が、おば〜ちゃんの顔を見に尋ねて来てくださいました。ホームヘルパーでお世話になった方、ご近所の方、わたしのパソコン仲間の方、そんな人たちの中に、おば〜ちゃんの昔からの親友の方がいました。その方はご近所に住まわれていて日野台教会に通われているのですが、おば〜ちゃんが日野台教会からキリストの幕屋に移ってからというものは、日野台教会のお仲間のお葬式の時にお会いするくらいとなっていました。入院中にお見舞いにとお声をかけたのですが、その方は旦那さまの見守りをされていますので、中々外出ができずお見舞いにも来ることができませんでした。それで第一声は、「松村さん、遅くなってごめんなさい。」でした。全く謝らなくてはいけない理由なんてないのです。その方ももう90才になられていますので、きょうここに来てくださったことだけで感謝なのです。驚いたことに、90才だというのに、背筋も伸び、かくしゃくとされています。その方いわく、おば〜ちゃんには何か光るものがあったそうです。真髄をずばりといってのける力があったとか。それがある意味、いいたいことをずばずばいう人といわれる所以でもあるのでしょう。わたしが知らなかった昔のことを、色々と聞かせてくださいました。わたしと姉を家に置いて教会に行こうとすると、姉がぐずったそうなんですが、その時にわたしが「やっこ(姉のあだ名)、ちゃんと留守番していなくちゃだめだよ。」といっていい聞かせていたそうです。(^^;) 前にも書きましたが、教会が別々になってしまったので、ずっと付き合っていた訳ではないのですが、たまに会うと昔の親友関係に直ぐ戻るみたいです。昨年夏この方に電話をかけて、おば〜ちゃんを電話口に出させたのですが、おば〜ちゃんはお茶目な口調で、「わたし、誰だか分かる。」をずっと繰り返し、その方を困らせていました。いくつになってもこの方とは、つーかーの仲だったそうです。素晴らしい人とお会いできた、という実感を持ちました。それにしても90才を過ぎてもあのお元気。世の中上には上があるもんですね。m(^^)m

おば〜ちゃんの突然の召天

晴れ
後雨
 きのうの続きです。疲れてぐっすり眠ってしまい、起きたら夜中の12時を回っていました。それからのこのこ起きて来て、一昨日借りたDVDの続きを見たり、部屋の中を歩き回ったりし、汗が出て来たところでお風呂を沸かして入りました。出て来た時はもう夜明け間近、5時近くなっていました。突然電話が鳴り出しました。こんな時間にかけて来るのは間違い電話か…。何かピンと来ました。直ぐに出ますと、案の定おば〜ちゃんの入院している病院からでした。おば〜ちゃんが危ないので直ぐに来てくださいとのことです。30分位で行けますといいますと、大丈夫なようなことを仰いました。兄や姉に連絡した方がいいですかと尋ねますと、そうしてくださいとのこと。直ぐに姉に電話しましたが、何回呼び出しても出てくれません。そのうち留守電になってしまいました。兄は携帯にかけると直ぐに出てくれました。「お母さんが危ないらしいので、直ぐに来てください」と連絡。車に乗って病院に向かいました。道路交通法違反ですが、途中ずっと姉を呼び出しましたが、結局出ません。病院に着くと、連絡を受けている守衛さんが直ぐに戸を開けてくださいました。エレベータに乗って4階に。おば〜ちゃんの部屋に入ると、そこにはもうピクリともしないおば〜ちゃんが横たわっていました。『えっえ〜っ』と思い、「もう心臓は止まってしまいましたか。」と看護師さんに尋ねますと、ほんの少し前に止まってしまったとのことです。「未だお声をかけられれば聞こえると思いますよ。」といわれましたので、「お母さん、可愛がってくれてありがとうね。」と大きな声でいいました。おば〜ちゃんはピクリともしません。でも聞こえているかもしれないので、「天に行ったら忙しくなるから、頑張ってね。」とか色々語りかけました。まだ顔も手も皆温かいです。おば〜ちゃんは昨夜12時頃まで眠っていて、その後ずっと声を出していたそうです。何となくきのうの様子が苦しそうに感じたので、きょうは午前中様子を見に行くかななんて思っていましたが、その感は正しかったようです。心電図を見ると、5時5分頃に心臓の動きが止まってしまったそうです。おば〜ちゃんの顔はとても安らかなものでした。なんか複雑な心境でしたが、この病院で天に召されて幸せだったのではという気がして来ました。直ぐに兄におば〜ちゃんが既に亡くなってしまったことを連絡。相変わらず姉は普通の電話にも携帯にも出ません。わたしなんか、お風呂やトイレに入る時も電話をそばに置いているというのに…。看護師さんに、今主治医の先生に連絡し、先生がこちらに向かっていますといわれましたので、とりあえず主治医の先生がいらっしゃるまで待つことにしました。先生は6時ちょっと過ぎにいらっしゃいました。おば〜ちゃんの瞳孔の開いていることと、胸に聴診器を当てて心音のないことを確認し、「5月31日午前6時13分、死亡を確認しました。」とおっしゃいました。いわゆる死亡確認ですね。これで証明書をいただき、死亡届けを出さないと、お葬式をしても火葬することができないそうです。先生がいらしたので、国立に住む姉を車で向かえに行くことにしました。看護師さんがその間おば〜ちゃんの体を拭いて、綺麗な浴衣に着替えさせてくださるとのことでした。姉の家に着くと、姉は眠っていました。途中おば〜ちゃんのお見舞いに良く来てくださっていた、おば〜ちゃんのキリスト教のお仲間の方にお電話しましたら、もう起きていらしたので、一緒に病院に行きませんかとお誘いしました。ふたりを病院前で下ろして民間駐車場に車を止めに行きました。病室に戻ると、姉は既に亡くなっているおば〜ちゃんの前でぐっと涙をこらえています。ここのところ体調があまり良くなく、やっと回復して来たので、きょうお見舞いに来ようとしていたそうです。教会のお友達が、おば〜ちゃんの枕元で祈ってくださいました。しばらくすると兄が義姉と一緒に到着しました。葬儀屋さんに連絡をし、わたしは一足先にまとめた荷物を持って帰り、おば〜ちゃんの部屋を掃除しておくことになりました。帰宅する前に、お世話になりました5階の看護師さんにお礼とおば〜ちゃんが亡くなった報告をしに行きました。良くしてくださっていた看護師さんがびっくりされて、直ぐに3人でおば〜ちゃんの部屋に来てくださいました。わたしはもう帰宅するところでしたので、廊下ですれ違いました。おば〜ちゃんは、たくさんの看護師さんに好かれていたのでとても嬉しいです。
 こんな感じできょうは一日慌しく終わりました。地域の回覧板への依頼。おば〜ちゃんの教会の方への連絡。こういう時に限って、留守の人ばかりなんですよね。おば〜ちゃんの顔を見に来てくださったご近所の方や、診療所の方々への応対。葬儀屋さんとの打ち合わせも終わり、正直いってこの記事を書いている今は、くたくたです。おば〜ちゃんはとても安らかな顔をして、隣の部屋で横になっています。馬鹿みたいですが、仕事がひとつ片付く度に、おば〜ちゃんの耳元であれが片付いたよ、これが片付いたよと報告をしています。(^^;)

おば〜ちゃんの様子

 そのネットのDVDレンタル会社のレンタル方法です。写真左のようにクロネコメール便で届きます。見終わったらまたこの袋に戻し、自分宛のラベルを剥がすとレンタル会社宛の返却用の切手つき郵便封筒になります。上手く考えたもんですね。(^^;)

晴れ
後雨
 昨日届いたDVDレンタルを見ていて、また夜更かしをしてしまいました。ひとつはHEROという原題。ダスティン・ホフマン、ジーナ・デイビス、アンディ・ガルシア出演の実に面白いドラマです。それにエクソシストのディレクターズ・カット版。例のウイリアム・フリードキン監督の代表作のひとつです。実話に基づいて書かれた小説を元に、脚色して作られています。フレンチ・コネクションのDVDと同様に、ウイリアム・フリードキンが全編を解説している音声で楽しむこともできます。これで全編を見ると、撮影の裏話や作品の意味・全体の流れをより深く理解することができます。しかしきょうはパソコン入門教室の授業日ですので、DVDばかり見て喜んでもいられません。授業の資料をプリントし、教室に向かいました。車がアケビがたくさん絡んだ大きなサザンカの木の下にあるせいで、アケビについたアブラムシの排泄物で汚れています。この時期はとても酷いです。出発する前に、雑巾でざっと拭きました。豊田駅北交流センターに着くと、既に生徒さんが数人待っておられました。
 授業が終わり、おば~ちゃんのお見舞いに出発です。ところが朝うっかり心臓の薬を飲み忘れてしまったことに気づき、一旦家に寄って飲んで出発しました。朝は4錠も飲みます。3時半頃着きました。おば~ちゃんは大分大きな声を出していたらしく、病室の戸が閉められていました。飛んで行って部屋に入り、いたずら防止ミトンとマスクを外してあげました。水枕をしています。足をマッサージしたりしていて後で気がついたのですが、大分高熱が出たようで、オムツの回りにも冷たい水の入ったペットボトルのような容器が、タオルに巻いてつけられていました。なんか腰を冷やされるのは可愛そうな気がして、内緒で外してしまいました。その時の体温は、37.7℃でした。ちょっと高いですね。いつものように苦しそうな声を出しては眠ってしまうの繰り返しでしたが、高熱のせいかいつもより、より苦しそうな声を出していました。夕方の看護師さんの検診で、動脈血酸素飽和度が中々90%台になりませんでした。ただ顔色はそれほど悪くなく、血圧も正常でした。心配された若い看護師さんが別の同僚に頼み、その別の方がもう一度動脈血酸素飽和度を測りに来られたのですが、その時は94%まで行きましたので、大丈夫大丈夫ということになりました。わたしも少々心配でしたが、パソコン教室の後で疲れていたせいもあり、帰途に着きました。帰りに栄町のいなげやで、ゴーヤチャンプルの惣菜やおにぎりを買って帰って食べました。その後やはり疲れがどっと出、一気に眠ってしまいました。

おば〜ちゃんの様子

 時代時代によって、色々な形態の販売店が出現しますね。コンビニエンス・ストア、ほかほか弁当のお店、ビデオ・レンタル店、100円ショップ。セルフのガゾリン・スタンドも、その中のひとつなのでしょうか。

晴れ  明日のパソコン入門教室の案内メールを何とか送信し、おば~ちゃんのお見舞いに向かいました。3時に着きました。おば~ちゃんは起きていました。ここのところいつも起きています。いつものように目の周りを拭いたり、背中や肩、腕や足のふくらはぎをマッサージしました。1分ほどちょっと苦しいような声を出し、ふっと眠ったようになってしまうの繰り返しです。声を出し、目を開けている間に、色々話しかけたりします。運が良いと、言葉を喋ることがあります。なぜでしょうか、喋った言葉の意味が分からなくても嬉しいものです。5時近くなったので、いたずら防止のミトンをつけ帰宅の途につきました。帰りに旭ヶ丘のケーヨーD2に寄り、刈り込み挟みと庭のツバキの葉についたチャドクガ用の殺虫剤を買いました。チャドクガは、玄関前に置いたサザンカの鉢植えにまでついていました。時間ができたら庭のツバキを伐採した方が良いような気がして来ました。ついでに蚊取り線香と、ゴキブリホウ酸ダンゴも買って帰りました。帰宅すると、昨日試しに頼んでみましたネットのDVDレンタルのDVDが届いていました。昨日注文し、石川県から発送されたメール便がきょうもう届くとは。すごいもんですね。(^^;)

おば〜ちゃんの様子

 またまた野菜食べてますよ、のアピールです。今まで食料品といったら、高倉町のコープとうきょうか多摩平6丁目のスーパーおおたで買っていたのですが、最近毎日立川に行っている関係で、栄町のいなげやで買うことが多くなりました。品数が多いだけでなく、全てが安いように感じます。駐車場が屋上に小さいものしかないのがちょっと残念ですが。

晴れ  きょうも良い天気でした。朝早く起きたのですが、ぐだぐだしていてまた眠ってしまいました。それでも3時までにはお見舞いに行かねばと思い、準備をして出かけました。きょうはナース室前からはおば~ちゃんの声は聞こえません。病室の扉も開いていました。覗いてみると、看護師さんのような方がおば~ちゃんのお世話をしています。「お世話になっています。」とお声をかけて部屋に入りますと、その方はリハビリ担当の方で、おば~ちゃんの手足をマッサージして曲げ伸ばしなどをしてくださっていました。いつもは何かされる前から大きな声を出しているおば~ちゃんですが、きょうは色々されているのに大人しくしています。大人しいどころか、顔を覗くとちょっと気持ち良さそうにも見えます。これはどうしたことか。(^^;) 流石に足の先をぐいぐいされた時にはちょっと痛そうな顔をしましたが、見方を変えれば未だ足先に感覚があるんだ、ということで嬉しい限りです。リハビリの方には、おば~ちゃんが昨年10月末に左足大腿骨頚部を骨折するまでは、皆自分でやっていたことなどをお話ししておきました。リハビリの方が帰られた後、わたしも手足を揉んだりしていたのですが、きょうはわたしの方が少し疲れ気味だったので動作はのろのろです。4時になったので、テレビの水戸黄門の主題歌を耳元で鳴らしてあげましたが、反応はありませんでした。あれだけ好きで、いつも一緒に歌っていたんですが...。
 オムツ交換の看護師さんが来られたので、気分転換に4階を歩いて見て回りました。同じように見えても、5階とは少しずつ違っています。北側の奥には、リハビリテーション専門の部屋がありました。おば~ちゃんも骨折した時にこの病院に入院し、手術・リハビリとやっていただければ、もう少し違った経過をたどれたかななどとも思いましたが、皆運命で決まっていたことなのでしょう。それにしても怪我や急病になった時に、運ばれた救急病院ですごい違いがあるなんて...。考えたこともありませんでした。
 4時半を回りましたので、きょうはおいとまさせていただきました。帰りにまた栄町のいなげやに寄り、写真左上のゴーヤチャンプルなどを買って帰りました。

おば〜ちゃんの様子

 おば~ちゃんの入院している病院の、5階になくて4階にあるもののひとつがこのバケツです。毎日何回か、顔や体を拭くための温かいタオルが配られますが、使い終わったタオルをこの中に入れておきます。5階ではこのようなバケツはありませんでしたので、医療器具の置かれた台や、部屋に備え付けの流しの縁に置いていました。

晴れ  きょうも良い天気です。きょうは日野市の「市内一斉清掃」の日です。もう何年も前から年に2回ずつ行われています。わたしの住んでいますブロックでは、道と溝を中心にゴミや雑草を片付けています。昨晩も遅く寝たのですが、朝はちゃんと9時からの清掃活動に参加しました。少し汗をかきましたので下着を着替え、少し仮眠した後お蕎麦を食べてから、おば~ちゃんのお見舞いに行きました。きょうは日曜日なので面会が1時からOKです。相変わらずおば~ちゃんは、起きて声を出していました。ある意味元気な証拠なのですが...。きょうはおば~ちゃんのお世話の担当者がいらっしゃるのか、きのうと違って顔も口の中もとても綺麗でした。嬉しかったです。4階でも、おば~ちゃんのことを気に入って、気をつけてくださる方がいらっしゃるといいのですが...。温かいタオルを持って来て顔を拭いた後、足の裏と甲も拭き、スキンクリームを塗ってマッサージしてあげました。栄養の点滴を外に漏らしたらしく、タオルや床が大分汚れていました。床を綺麗に拭き、汚れたタオル類は洗濯するため持ち帰ることにしました。途中看護師さんがいらして、オムツ交換と、痰の吸引をしてくださいました。おば~ちゃんが何もしないうちから大きな声を出すので、看護師さんが「未だ何もしていないのに。」といいました。それで、「おば~ちゃんは、1、2分おきに声を出しては静かになるのを繰り返しているんですよ。」と説明しておきました。年配の良くしてくださる看護師さんが、盛んに村松さん村松さんと仰るので、松村ですといっておいたのですが、その後も村松さんと呼んでいました。(^^;)
 3時ちょっと前に一旦帰宅し、汚れたタオル類を洗濯・乾燥して夜の7時半頃届けてあげました。流石に夜はおば~ちゃんも疲れたのか、目を開けても声は全然出しませんでした。(^^;)